幼少時は、皆 親の保護の元でなければ生きてはいけません。

口唇期~肛門期~男根期くらいまでは特に親の力がなければ人間は成長してゆけません。

幼少期は、自分がなにもしなくても親が自分の世話をしてくれて当たり前で、またその時期は必要不可欠です。

赤ちゃんはおなかがすいたら泣く。気分が悪ければ泣くことにより自らの意思を示します。

それはある意味魔法のごとく、すべてが自分の思いどおりに物事が運ぶ時期であり、絶対的信頼感を身に着けることの出来る時期でもあります。

この時期は人格形成上 とても大切です。

ここで絶対的信頼感を得られた人間は、次の段階に進みます。

家庭から社会にでてゆく中で、今まで自分が主張し通ってきたことが社会に出ると通用しなくなる。

人格形成上、子供が育つ段階で、健全な甘え(依存)が出来た人は社会に出た時、他人に対しても他人の気持ちや立場を考えてゆくことが必要であることを学びます。自分がしっかり健全に依存させてもらえて、受け入れられてきた人は、自分とは違う考え方を持つ人に対しても、それを受け入れることが出来ます。

しかし、人格形成の基礎段階において、何らかの問題があった場合、この母子一体感を大人になっても手放せずにいることがあり、またこれはとても多く見られます。

「私はこう考えていて、その考え方が絶対に正しいから、あなたもそうしなさい。」

「わたしがこんなに大変なことが、なぜあなたにはわからないの?」

人間関係における揉め事などによく有りがちで出て来やすい言葉ですが、これは自分と他人との境界線が曖昧な、母子一体感の象徴です。

自らの考えや思いのみを主張し、そこには相手の価値観や立場や状況にたいする思いやりや考えが及びません。

健全な人間関係は、この母子一体感を手放し、親しき仲にも離別感をもつ、自分と他人は違う人間であり様々な考え方があることを理解してゆくことが必要です。